友人へ
常識
ハイセンスな曲のコメント欄には、必ずと言っていいほどセンスに酔わされて自分の詩を読むひとがいる。そして、その下にはそのひとを恥ずかしいやつだと蔑む奴がいる。でも、こういうのって酔っぱらった者勝ちなんだよなぁ。と思う。
みんな、何で常識なんて背負いこんでいるんだ?こんなクソみたいな世の中に真っ当な幸せだとかを期待しているんだ?世の中の言う幸せの定義なんて合理的すぎて泣きそうだ。生産性だとか意味だとか重要性だとかクソ喰らえ。みんなで酔っ払って、馬鹿みたいに恥ずかしい言葉を吐いて、全世界に発信してやろうぜ。どうせみんなすぐ死ぬんだから。
ヤンデレ
私はヤンデレという言葉があまり好きではない。いや、普段使うけど。なんだか陳腐化される気がして好きではないのだ。
何か、もしくは誰かを病的なまでに愛し、束縛し、自分だけのものでいてくれないならいっそ殺して永遠に私のものにしたい。これが、たぶん一般的に言われるヤンデレだ。私はたぶんこれに深い興味がある。
江戸川乱歩の白昼夢、という作品に愛しさのあまり、浮気性の妻を殺してしまう男が出てくるのだが何故か他の作品よりも惹かれる。あと太宰治の駆け込み訴えもめちゃくちゃ好きだ。あれもユダがキリストへの愛を泣いたり叫んだりしながら再確認したり、殺意を抱いたりする忙しい作品なのだが良い。何故か昔から惹かれるのだ。
私の友人にこういう気を持った奴がいる。ちょくちょく過激なやつなのだが、悪いやつではない。そいつのことは好きだ。そして、いつも心中したいだの後追いしたいだの言っている。どうやら依存関係がもっとも美しいものだと思っている節がある。とやかく言うつもりはないが。
昔は心配していたが、こいつがこういう気なんだと知ってからは興味深く思うようになった。おそらく、自分自身があまり執着するたちではないと言うか、全てにおいて中途半端なので正反対のものに惹かれるのだろう。
前から何でこいつのこの部分が嫌いではないのだろうと思っていたが、白昼夢を夢中になって読んでいるときに「あ」となった。その部分が嫌いどころか関心を寄せているのだから。
まぁたぶん私はこれからもなぁなぁに生きていくが、友人は何かに対して側から見れば異常な程の愛情を注いで生きていくのだろう。友人がそうでなくても好きだが、おそらくこれに惹かれているという部分もあるのだろうなぁと思いながら眠りにつく。おやすみなさい。
つの
不味い
不味い。甘酒を買ったのだが、これがもう不味かった。安いやつだったからか?鼻から醤油の香りが抜けて驚いた。
躁鬱だ。
精神がまだランデブーをしている。そろそろ帰ってくるかな?と思ったらどんどん進んでいく。帰ってきてーーー。ふと帰ってきて、あれ?私行けるじゃん?とか思うがすぐにランデブーに行ってしまいもう心ここに在らず。またのご利用お待ちしております。
精神科に行ったほうがいいのか?と思いつつも、病を理由に甘えたいだけなのか?という思考があるし変なプライドが邪魔をする。生活を営みたいができない。営もう。きーくるくるきーからから。たぬきは好きだ。
情緒ランデブー
すごい。最近情緒の不安定さがすごい。
割とここで文章を書くときは情緒が安定しているときなのだが、今の情緒のぷるぷる具合といったらやばいのであえてしたためることにする。なんかもう無理。
寂しい。めちゃめちゃ寂しい。しかも最近人と一緒にいるときのほうが寂しい。1人でいるときも、ふと寂しくなるのだがその時の何倍も人と一緒にいるときは寂しい。多分絶対に一緒にはなれないし、分かり合えないんだろうなと思うと寂しくてたまらない。人は分かり合えないのは当然だ、とか言うが実際そうだと私も思うが、いざ主観になると寂しい。
あと、自分の性別が分からなくなった。この場合は恋愛対象についての話なのだが、同性にぼんやりと好かれているなぁと感じたり、異性に恋愛感情を抱かなかったり、周りがそういう話題で浮ついていたりでもう分からなくなった。え?私そもそも人間好きなのか?という域まで達している。皆んな偏見はないとか言う癖に、私がそう告げたらどう思うのだろうか。知らないしどうでもいい。
ずーっとこんな感じだ。もう無理。でも寂しい、とか悲しい、を理由に人に甘える方法が分からないので困っている。あえて悩んでない風にいってしまうので悩んでないんだろうな、と思われるのだと思う。だめじゃん。
そのためセルフで慰めなくちゃいけないので今から甘酒を買いに行こうと思う。甘酒を飲んでいっぱい寝て、本を読んで風呂に入って。それでも駄目だったらまた、考える。
午前5時
午前5時。
最近はこの時間まで起きているようになった。いや、良くないことなのだが。なんだか何もしたくないな〜と思って何もしないままでいるともう5時になっている。
みんな、知らないのだ。私が5時まで起きて、まだ一向に課題に手をつけられないでいることも。友人は欲しいが、友人になるまでの腹の探り合いの過程がめんどくさくて未だに1人でいることも。自分で作った野菜炒めがまずくて、捨てたことも。ほんとうは1番よく喋ることも。眠りにつく前の、何もしなくていい感覚が好きなことも。みんな、知らないのだ。
楽しいことは身体に悪い。美味しいものは健康に悪い。面白いことは生産性がない。やりたい事はくだらないことだ。好きな友人のことはずっと好きだ。数少ない大切なひととの他愛もない話が好きだ。ぜんぶそういうものなんだろうな。たぶん。