ご機嫌とり

自分の機嫌をとるのが上手い。

というか、1人遊びが上手い。わりと1人で飯を食ったり絵を描いたり踊ったり歌ったりしてるので、自分で楽しさが完結してしまう。


まぁ、悪いことではないしなぁと思っていたが最近ふと「寂しい」と思った。こんなに愉快で楽しい時間を過ごせているのは私だけなのだ。他人と共有できない。でも、他人と共有するには双方の気分とやりたい事と許せるラインだとかもろもろがぴったり合ってないといけない。2人で居るのに、1人の方がうるさくなくてましだ、と思われたら泣いてしまう。



1人でいる時の方がうるさい。元来うるさい人間で、喧しくしてると楽しくなってくるのだが人それぞれだから、ほんとに人それぞれなのだ。めんどくさいなぁ、ひととの繋がり。そう言って1人の殻に篭って、騒いで、人恋しくなって、他人との交流を試みるも、まどろっこしく思ってしまい、1人で踊りながら文句を言い、歌いながら皿を洗って自分の機嫌をとる。



こうやって書き出してみると、1人でご機嫌をとる事の欠点がないように思えてきた。むむ、思ってたのと違うぞ。まぁ、ハッピーエンドならぜんぶ、いいのだ、これで。

泣く

感情が高まるとすぐに泣いてしまう。


私はあまり普段泣かない。卒業の時も、祖母の家の犬が死んだ時も、涙は出なかった。でも、まだ卒業していない気がするし、愛犬もどこかでふらふらと生きている気がする。ひとはたぶん泣くことで現実を認め、気持ちを切り替えているのかな、と思う。あそこで泣かなかったからまだふわふわした心地なのか。でも、悲しい現実を受け入れるくらいなら幻想を見つつ、うわの空で生きていたい。


私が泣くのは大抵、悲しいというときより怒りが昂ぶったときだ。そういう時はもう、ぼろぼろ泣いてしまう。自分でも訳が分からなくて、泣いてしまうから言いたいことが言葉に出来なくて悔しくてまた、泣く。長い時間泣くわけではないが、すぐに目が赤くなって、なかなか引かないので困る。



涙って美しいものに捕らえられがちだ。でも私は甘ちゃん敏感肌なので、自分の涙の成分に負けて目の周りの肌が赤くなってしまう。弱すぎる。困っている。



まぁ自分の涙は怒りと悔しさの感情がゲージを突き破った時しか出ないし、それで荒れるしなのであまり泣きたくない。でも泣いた後はすっきりして、少し疲れて、眠くなる。いつまで経っても甘ちゃんだなーと自分でも呆れつつ乾いた涙もそのままにふらふらと散歩する。

叔母

私には叔母が2人いる。

それぞれ母方の姉と父方の妹になるが、どちらもほんとうに格好良い人だ。



父方の妹の方は、父と歳が10も離れているため、父よりも母のほうが歳が近かった。私が幼いころはいつも、どこかに遊びに連れていってくれた。煙草を吸い、会うとよく「負けたから」と言ってパチンコの景品であるお菓子をくれた。それを家に持ち帰ると母は少し嫌そうな顔をしていた。おばは短大を卒業してからは都会に出て、得意の喋りを生かして宝石をじゃんじゃん売って、どかどか稼いでいたらしい。おばは常々「寅さんになりたい。」と言っていたが、その都度、家族全員「なってるよ」と思ったし、実際寅さんだった。10年ほど前に実家に帰ってきて今は普通に働いているが、おばの部屋にはまだ古い型のルイヴィトンやシャネルの鞄がある。


私の母は安定を優先する堅実な人なので、豪快で、結婚もせずに煙草を吸いパチンコに通い、犬を愛でるようなおばのことがあまり好きではなかったと思う。おばが遊びに連れて行ってくれるとき、幼いながらも母の表情でそのことは分かった。けれど、どうしてもおばの燻らす煙草のけむりの非日常感が格好良く見えたのだ。煙草を止めてしまった今でも、私はあの時感じたことが忘れられない。



世間には良妻賢母が求められる。それはそうだ。良い妻であり、賢い母だなんて最高のひとだ。でも、ちょっと派手で他人の目を気にせずちょっといけない秘密を一緒に作ってくれるひとに惹かれてしまうのは仕方ないのだ。そして少し憧れてしまう。けれど、それは仕方ないことで抗いようもないのだ。

脱走

脱走したい。

ふとそんなことを思いつつ生きている。脱走したい。連絡先も家も今まで集めた本も、全部捨てて脱走したくなる。そういう時は決まって近所のスーパーにちょっと買い物に行った時とかで、脱走するぞ、と思って脱走したくなるのではない。



もともと幼い頃からこれといった夢はなかった。動物と本が好きなので、動物園の飼育員や図書館司書になりたいと言ったら笑って一蹴された。両親は自営業で、安定しない安月給の仕事よりもお金で苦労しないよう、高給取りの安定した仕事に就いて欲しかったのだろう。でも、ここに来て何が何だか分からなくなってきてしまった。


ふらふらしながら一人で呑気に生きている私よりも、美人で喋りが上手で家がお金持ちなあの子の方が世間が追い求める幸せを簡単に手に入れてしまうのだろうと思うと、全てが馬鹿馬鹿しくて、嫌になってしまう。明らかに大きなハンデを持ったまま同じゴールを目指すなんて阿呆らしい。それくらいなら私は立ち止まって足元の砂に絵を描いて日向ぼっこをして死んでいきたい。あの子はとうにゴールして、涼しい部屋で休んでいるが真ん中の人たちはまだ走っている。


そんなことを考えながら生きている。はやく死んだように生きたほうが良いのだろうな、と思うがいまいち決心がつかない。

読む

私は読書が趣味だ。


一応、自己紹介の時にはこういうようにしている。「私は家で一人でモノマネ大会をしたり、大音量でEarth,wind&fireを流して踊りながら食器を洗ったり、何の意味もテーマもない絵を描くことが趣味です。」とか言い出しても怖いだろう。こわい。


本を読むのは好きだ。もともと漫画が好きなのでまぁ、本も読んでやろうかな、てな感じだ。だから難しい文体のものは読めない。苦手だ、とかではなく。読めない。国語の授業でも小説を読むのは好きだったが、小論文とやらを読んだり書いたりするのは本当にめんどうだった。


とくに哲学の話とかを専門家のお偉い先生が書いている文はほんとに読めなかった。意味が理解出来なかったし、たぶんこれを書いた先生も私みたいなボンクラ学生に向けて書いたのでは無いからまぁお互い様だ。



ひとが書く文章は食べもののように思える。中身のない、ただ面白いエッセイは駄菓子。内容は理解出来なくとも美しい語彙で紡がれている小説は金平糖。そんな具合に。そのため、活字に関してはとんでもない偏食ぶりを見せてしまう。まぁ、全部わたし一人の世界の話だから、これでいい。うん。これでいいのだ。

真夜中

眠れない。

もう布団に入って2時間が経った。全然眠れない。私は普段布団に潜っておやすみ3秒なのだが、たまに寝つきがすこぶる悪くなることがある。そういう時は決まって予定がある日で、もうほんとに勘弁してほしい。寝ろよ、私。いっそ気分転換に漫画でも読もうと思い、読んでたらこの時間だ。ほんとに寝ろよ、脳。そもそも今日は昼の2時過ぎに起きので、眠れないのも無理はない。何で朝は眠いのに夜は眠くないのか。永遠に謎である。


うーむ、そういえば私はいちばん真夜中の時間帯が好きだ。もし時間が止まってしまうなら真夜中が良い。この時間帯はほとんど皆寝静まっている。それが私の心を無性にワクワクさせてしまうのだろう。だから夜は眠くないのではないか。



朝は嫌いだ。だって何かを始めなければならない。夜になればもう、することがない。寝るしか、ない。そんな状況で馬鹿正直に寝るやつなんているものか。夜は好きな音楽を聴いて、酒を飲みながら好きな本を読む時間だ。私のこの時間を奪うな、馬鹿者。



こんなことを考えながら思春期を超えたので、いっとう真夜中と親しくなってしまった。いつも真夜中とお別れする時は悲しい気分になる。楽しい時間が終わるからだ。だから、別れる前に寝る。そうすればまた会える。ん、4時30分か。早く寝ないと真夜中とのお別れをこの身をもって感じなければならなくなる。早く寝よう。おやすみなさい。

季節の変わり目

風邪をひいてしまった。毎度毎度4月と10月の初めにこうなるのだ。喉の痛みからだるさ、そして鼻風邪になって終わり。昔から飽きもせずこの季節の変わり目風邪は私に年に二度会いに来る。迷惑な客人だ。



最近人と話すのが面倒に思えてきた。親しい友人と話すのは好きだが、顔見知り程度の人と話すのがしんどい。SNSも見ていない。ネットもつまらない。自分は結局1人なんだと思い込む。ろくに食事も摂らずに寝転ぶ。外にも出ない。


こういう一人になりたい時間も、たまに、来るのだ。ふと、全てが馬鹿馬鹿しくなって嫌になる。だからといって抗うわけでもなく、この気分に身を任せる。何日かしたら気が済んだのか、勝手に私のからだから出て行く。自分勝手で嫌な奴だが、こいつが中に居る時は思考を放棄していいから楽だ。何も考えない。



今回のはあと1、2日で出てくかもしれないしずっと居座るかもしれない。まぁ気分屋で掴めないやつだがこれからも上手く付き合っていきたいとは思う。